マイケル・サンデルが指摘する「能力主義の問題点」とは?

最終更新日: 2022/12/07 公開日: 2022/06/20

2019年10月、日本自動車工業会の会長会見でトヨタ自動車の豊田社長は次のように発言しました。

「終身雇用を守っていくのは難しい局面に入ってきた」

日本で長らく続いてきた終身雇用がいよいよ崩壊へと向かうのではないかと、危機感を募らせた方も多いのではないでしょうか。

一方で、経営者としては従業員の評価制度や雇用を将来的にどうしていくべきなのか、難しい判断を迫られています。

  • 欧米のように能力主義寄りの評価制度にしていくべきだろうか?
  • しかし、能力主義に偏り過ぎてしまうのも何かが違う気がする
  • そもそも能力主義にはどんな問題が潜んでいるのだろう?

このように考えたことがある経営者の方も多いはずです。

今回は、能力主義に疑義を唱える哲学者マイケル・サンデルの思想から、能力主義の問題点について考えていきます。

これからの日本企業における組織のあり方についても触れていますので、ぜひ参考にしてください。

マイケル・サンデルとは

マイケル・サンデルはハーバード大学教授であり、哲学者・政治学者・倫理学者です。

共同体主義(コミュニタリアニズム)の論者として知られています。

共同体主義とは、社会の基盤として共同体を位置付け、共同体の復権を提唱する思想のことです。

 

思想 政治的自由度 経済的自由度
新自由主義
(リバタリアニズム)
競争至上主義
自己責任論
自由主義
(リベラリズム)
個人の自由を尊重
再配分を重視
保守主義
(コンサバティズム) 
伝統を重視
道徳観を優先
共同体主義
(コミュタリアニズム)
共同体を重視
正義<善
政治思想の4分類

共同体主義と対極に位置する思想が新自由主義(リバタリアニズム)といわれています。

人は競争によって成功を勝ち取るのであり、成功できないのは自己責任と見なすのが新自由主義の基本的な立場です。

一方、共同体主義における「成功」「努力」「才能」などの位置付けは、マイケル・サンデルの次の言葉に表れています。

・われわれはどれほど頑張ったとしても、自分の力だけで身を立て、生きているのではない
・才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで、自分の手柄ではないことを認めなくてはならない
(『実力も運のうち 能力主義は正義か?』より引用)

たとえば、メジャーリーガーとして活躍できるほどの体躯と才能は、誰にでも等しく与えられるものではありません。

生まれ育つ家庭環境や親の経済力を子どもが自分の意思で選べないように、与えられた能力もまた自分自身で選んだわけではないと捉えているのです。

能力主義に疑義を唱えるマイケル・サンデルの主張は、共同体主義の思想に支えられていると考えてよいでしょう。

このようなマイケル・サンデルの主張と、「三方よし」などに見られる日本的な価値観を俯瞰しつつ、哲学を介してビジネスでよりよい成果を上げるための概念を、引き続き掘り下げていきます。

能力主義はなぜ問題なのか

マイケル・サンデルが能力主義のどのような面を問題視しているのか、より深く探究していきます。

能力主義の問題点として指摘しているのは、主に次の2点です。

才能の偶発性を無視している

能力や才能は努力によって獲得できる要素であり、不足しているとすれば努力不足と見なすのが能力主義の立場です。

一方、能力が努力の賜とも言い切れないことを、マイケル・サンデルは次の例によって示しています。

  • 貧しい親のもとに生まれたアメリカ人は、大人になっても貧しいままであることが多い
  • 家庭が高収入であるほど、SATの得点も高いものだ

(『実力も運のうち 能力主義は正義か?』より引用)

遺伝や家柄、生まれた国といった要素はいずれも偶然の産物であり、道徳的な根拠を欠いた属性であることが多いです。

偶然の産物までも「努力の度合いがもたらした結果」と結論づける能力主義には、重大な見落としがあると指摘しています。

メジャーリーガーになれなかったことを「努力不足」と言われたとしたら、大半の人は「それは違うのでは?」と感じるでしょう。

与えられた能力や才能はそもそも偶発的なものであり、個人の努力とは距離を取って論じるべきではないかと、マイケル・サンデルは提唱しています。

驕りと屈辱の感情を根付かせる要因となる

マイケル・サンデルは、能力主義の典型的な例として学歴偏重主義を挙げています。

大学の学位を持つ人が無意識のうちに学位を持たない人を見下し、自身の能力を根拠に驕り高ぶるようになるというのです。

逆に、学位を持たない人は屈辱を感じるようになり、ますます自信を失っていきます。

同様の構図は、企業において順調に昇進していく人とそうでない人との間にも見て取れるでしょう。

驕りと屈辱の感情は社会や組織に断絶を生み、歪みとなって表れます。

行き過ぎた能力主義こそが断絶の原因であると、マイケル・サンデルは指摘しているのです。

このようなマイケル・サンデルの主張と、ご縁を重んじる日本独自に文化である「おかげさま」「三方よし」といった価値観は、共通点が多いと言わざるを得ません。

組織における能力主義の問題点

企業などの組織において、能力主義は一見すると合理的で公正な考え方のようにも思えます。

しかし、マイケル・サンデルの思想を当てはめて考えた場合、次のような能力主義の問題点が浮かび上がってくるのです。

「公正な評価」のスタートラインが異なる可能性がある

同時期に入社し、同じ内容の研修や指導を受けた社員Aと社員Bがいるとします。

数年後、社員Aは順調に成果を挙げて評価を高めていく一方で、社員Bは成果を挙げることができず評価されていません。

能力主義にもとづいて判断するなら、社員Aは社員Bよりも評価されるべきでしょう。

では、2人のスタートラインは本当に「同じ」だったのでしょうか

しばしば「適性」と表現されるように、社員Aは偶然にも勤務先の業務内容との相性が良かっただけかもしれません。

公正に評価されているようで、実は初めから差がついていた可能性を疑ってみる余地がありそうな問題といえます。

成果が出ないのは「自己責任」と片づけて良いか

先に挙げた社員Bが、「自分には向いていない仕事のようだ」と判断し、退職することになったとしましょう。

社員Bの退職は本人の問題であり、自己責任と片づけてしまって良いのでしょうか。

「成果が出ない=努力不足=自己責任」という風潮は、「成果さえ出せば何をしても良い」という考え方と表裏一体です。

長い目で見れば顧客の信頼を失いかねない強引な手法を駆使してでも、成果を挙げようとする社員が出てくるでしょう。

結果的に組織のモラルが低下し、顧客が離れていく可能性があります。

行き過ぎた能力主義が組織の崩壊に繋がるリスクについては、十分に考慮しておく必要があるはずです。

可視化された評価がもたらす感情の問題

能力主義においては、評価を可視化することは公平性を保つ上で重要な施策と捉えられる傾向があります。

しかし、可視化された評価は水面下で社員に複雑な感情をもたらすことを見過ごすべきではないでしょう。

所属する組織から認められたことにより、高評価を得た社員が評価の低い社員に対して優越感を抱く可能性は十分にあります。

反対に、評価されなかった社員が屈辱を感じ、自信を失ってしまうこともあるはずです。

社員にとって「評価」は単なる数値上の指標ではないことを、経営者はよく理解しておかなくてはなりません。

組織を構成するのは人であり、人を動かすのが感情である以上、評価と感情の問題は常に注視していく必要があります。

マイケル・サンデルが提唱する「共通善」を読み解く

能力主義がもたらす弊害を解消する方法として、マイケル・サンデルが提唱しているのが「共通善」の考え方です。

共通善とはどのようなものなのか、日本における共同体のあり方と併せて考えていきます。

共同体に属する「個」として

共通善とは、共同体における共通の価値観に「善」を見いだすことを指しています。

個人的に成果を挙げれば良いのではなく、お互いが周囲への責任を負っていると捉える発想です。

欧米における共通の価値観であるキリスト教の宗教観に当てはめると、次のように考えることになります。

  • 自分が高い収入や地位を得られているのは、個人的な努力だけがもたらした結果ではない
  • 神が目をかけてくださったからであり、自力で成功を手にしたなどと思い上がるべきではない
  • よって、高い地位や収入を得たとしても謙虚であり続けるべきである

能力主義が「機会」の公平性を重視するのに対して、共同体主義は属する共同体における「善」「正義」を重視します。

ただし、共同体主義における善や正義は普遍的な価値観とは限らないのがポイントです。

特定の社会や組織で共有されている価値観にもとづいて「善」や「正義」が規定されています。

企業組織に当てはめた場合、企業理念や事業目標といった共通のゴールを達成することが「善」や「正義」となるのです。

たとえ優れた成果を挙げたとしても、組織全体で見た場合に理念の実現を阻害するようでは善や正義とはいえません。

共同体という枠組みこそが、個の暴走を食い止める砦となるのです。

日本における共同体意識

マイケル・サンデルが想定しているのは、主にアメリカにおける共同体と考えられます。

多種多様なバックグラウンドを持つ人々が公平に競争する上で、能力主義は合理的な思想とされてきました。

しかし、能力主義には根本的な問題を抱えていると指摘するのがマイケル・サンデルの主張です。

一方、日本では古くから共同体が意識され、機能してきました

「おかげさま」といった言葉や「三方よし」といった発想には、個が個では完結し得ないという認識が色濃く表れています。

個人を基点とし、個人に対する評価に終始する能力主義が日本の風土に合わないとされるのはこのためです。

終身雇用の崩壊が現実味を帯びつつある今、日本特有の共同体意識を見直すのも1つの考え方でしょう。

個の尊重と共同体意識の醸成は両立できる

日本社会において能力主義が問題を引き起こすとすれば、会社と社員の対立構造に原因があると考えられます。

会社組織という共同体が個としての社員を一方的に評価し、「使える・使えない」の判断を下すことが大きな問題なのです。

実は、個と共同体の対立構造は終身雇用の時代にも存在していました。

能力主義の導入によって、水面下で続いてきた対立構造が表面化したに過ぎません。

個と共同体の分断から脱却するには、次のことを実践していく必要があるでしょう。

【個の尊重と共同体意識の醸成を両立させるために】
・社員の望みと会社の仕組みを一致させる
・「人」にフォーカスしない仕組みをつくる
・弱みを意味のないものとし、強みを生かす
・成果と価値観の両方を評価・育成する
・社員が社員を育てる機会をつくる

上記を実現する「絆徳経営」の詳細については、次の記事もぜひ参考にしてください。

マイケル・サンデルの著書

マイケル・サンデルの思想についてさらに詳しく知りたい方のために、代表的な著書を紹介します。

共同体主義をより深く理解し、実践に生かしていくには次の2冊を読んでおくとよいでしょう。

これからの「正義」の話をしよう

「正義」という、一見すると普遍的とも思える価値について切り込んだ名著です。

ハーバード大学の人気講義を元に書かれた本作は、日本においてもベストセラーとなりました。

著書の中で、マイケル・サンデルは私たちの「正義」を本質的に問う鋭い質問を投げかけています。

  • 1人を殺せば5人が助かるとしたら、1人を殺すのは容認されるべきか?
  • 前の世代が犯した過ちを、現代の私たちが償う義務があるだろうか?
  • 富裕層の課税を重くし、貧困層に富を再配分するのは公正といえるだろうか?

また、本作は新自由主義が抱える本質的な問題を指摘している点においても秀逸です。

個人の自由意思が最大限に尊重されるべきであれば、臓器売買や自殺幇助も容認されることになってしまいます。

正義には「幸福の最大化」「自由の尊重」だけでなく「美徳の促進」が必要と説いているのが本作の大きな特徴です。

正義はどうあるべきか、じっくりと考えてみたい方におすすめの1冊といえるでしょう。

実力も運のうち 能力主義は正義か?

前述の『これから「正義」の話をしよう」から10年の時を経て、再び話題となったマイケル・サンデルの著作です。

本記事で取り上げた能力主義の問題点について、理解をより深めることができます

能力主義が分断してきた社会を、真の正義が実現する社会に変えることはできるのか——?

気鋭の哲学者が、現代社会の難問に挑みます。

まとめ

終身雇用が限界を迎えつつある日本社会において、「終身雇用か能力主義か」の二択以外の選択肢が求められています。

マイケル・サンデルが提唱する共同体主義の復興は、現代社会に潜む問題を考える上で重要な示唆を与えてくれるでしょう。

一方で、日本では古くから独自の共同体意識を育んできた国でもあります。

今いちど日本における組織のあり方を見つめ直す意味でも、マイケル・サンデルの思想に触れてみてはいかがでしょうか。

また、こうした哲学をビジネスに活かしていくにはマーケティングを合わせて学ぶことをおすすめします。

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