柳瀬 宏秀 略歴
コピーライター、CMプランナー、映像プロデューサーを経て、2002年の2月に大手広告会社を退社。現在、環境意識コミュニケーション研究所、代表、プロデューサー。
映像プロデューサー時代は、日本初の大型タイアップであった映画バットマンと企業とのタイアップやスピルバーグのタイニーチューン・アドヴェンチャーの日本でのトータル・プロデュース。
1995年3月6日(震災49日目)、サントリーホールにて震災チャリティーコンサート。ビデオ『有森裕子--光り、輝くために』、ビデオ『REBIRTH--再・誕生』、テレビドラマ『ガラスの仮面』の企画など。プロデューサーとして、パラダイムシフトをコミュニケーションリードすることを目指した仕事をしてきた。
また、祭りの魂を取り戻すことを訴え、「時間をはずした日の祭り」を呼びかける。その呼びかけに共感した多くのアーチスト達が、毎年、7月25日(時間をはずした日)に、地球の様々な場所で500近くの祭りを生み出している。
2002年「満月の十三祭り」2003年、「京都、満月祭り」のプロデューサー、17回連続で満月ごとに、時と場所を選ぶ、祭りの魂を取り戻す祭りを生み出した。
環境とは?環境意識とは?を問い直し、環境意識の醸成のための「環境意識コミュニケーション」という分野の確立に向けて活動。2004年、富士山を感じる心を取り戻す、ためのプロジェクトとして、松居慶子、川井郁子、ラヴノーツ、鬼太鼓座など11組のアーチストと「FEEL THE FUJI FESTIVAL」を生み出す。
環境意識コミュニケーションに沿った経歴として、
1995年3月6日(震災49日目)、
サントリーホールにて歌舞伎とクラシックによる震災チャリティーコンサートの企画・
プロデュース。出演は市川團十郎、中村橋之助、海野義雄、井上圭子、神崎愛、中村邦子他。150万ー200万人ともいわれる地震による「心の傷」を受けた人々を生みだした震災。芸術活動による精神的な支援を、社会のシステムとして機能させる可能性を模索する。しかし、日本社会が芸術の人間精神に及ぼす影響を認めていないこと、少なくとも社会のシステムとしては機能していないことを痛感。祭りや芸能がその起源も含めて、人々の精神的なバランスをとるための社会(村)のシステムとして、大きな役割をはたしてきたこと。そして今、その役割を芸術が取り戻すことの必要性に目覚める。
著作
『コズミック・ダイアリー1999〜2023』23冊
『「マヤの叡智」の常識』『初詣の 願いを 祈りに』
『願いを 祈りに』
『9.11人類が、正義という呪縛から解き放たれるために』
『マヤン・ファクター新版』 翻訳・監修
『2012年への進化 ホゼ・アグエイアス伝記』 監修
「時間をはずした日の祭り」を呼びかける。
23年前より、自然のリズムを取り戻すことによって新しい環境意識の醸成を目指して「コズミック・ダイアリー」を企画、執筆する。
また、1999年から2000年、2001年と、人類が「時間」に目を向ける3年間、祭りの魂を取り戻すことを訴え、「時間をはずした日の祭り」を呼びかける。自然のリズムを取り戻すことに共感した多くのアーチストが、それぞれのスタイルで祭りを生み出し、7月25日には、世界で500の祭りが生み出されている。
2012年3月1日に、メキシコのパレンケから、世界に「時間をはずした日の祭り」を呼びかける予定。
「コズミック・ダイアリー」「時間をはずした日の祭り」、このテーマについて、講演、雑誌のインタビュー、ラジオの取材、などを年に20-30回行う。
「環境意識コミュニケーション」について。
環境=まわりのもの。環境意識=まわりのものを感じる(意識する)こと。というシンプルな定義づけに戻るところから、環境問題の解決へのビジョンを提案し、根本的な価値観の見直しを目指す。本来の商品は、環境意識から、生まれるべきもの。いつ満月か知らない。好きな野菜の旬をしらない。車椅子の人を拒否しているビル。農薬づけの野菜を出荷する農家の人、5分間診療、そして環境問題………現代社会の問題点は、すべて、まわりのもの、まわりの人、自然、月、といった環境を感じなくなったところから、きている。
知らない間に、日本人がいつ満月かを知らなくなったのであれば、知らない間に、満月を見るような、コミュニケーションを社会全体で生み出すのが、環境意識コミュニケーションの目指すところ。環境意識なくして、環境問題の解決はないと考えている。
柳瀬 宏秀 略歴
コピーライター、CMプランナー、映像プロデューサーを経て、2002年の2月に大手広告会社を退社。現在、環境意識コミュニケーション研究所、代表、プロデューサー。
映像プ...
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