
「鮎川義介の、経営者として大事にしていたことを知り、ビジネスに役立てたい!」
「鮎川義介の、エピソードを聞きたい!」
一代で141社もの大企業を作り上げた鮎川義介の経営哲学を知ることは、現代の私たちが働くうえで学ぶことが多くあります。
今回は、鮎川義介の義理の妹である、鮎川雅子氏からエピソードについて伺いました。
この記事は、セミナーズYoutubeチャンネル「逆境を乗り越え日立、日産などゼロから141社を作った鮎川義介の経営哲学|日産グローバル代表 鮎川雅子氏」を記事化したものです。
詳細について知りたい方はぜひ、動画もご覧ください。
この記事では以下のことについてご紹介します。
- 鮎川雅子氏とは
- 鮎川義介はどんな人であったのか
- 鮎川義介から学べること・大事にしていた商売哲学
- 日産鮎川義塾とは
- これからの時代で経営者が意識すべきこと
鮎川雅子氏とは
鮎川雅子氏は、鮎川義介氏の次男である金次郎の嫁として鮎川家に嫁ぎました。
金次郎が亡くなった後、鮎川家の母と一緒に過ごし、多くのことを学んだそうです。
現在は、教育を始めとした多くの事業や、ボランティアに従事し、日産グローバル株式会社の代表取締役社長を務めています。
鮎川雅子氏は、鮎川義介の志を継ぐ方として活躍しています。
鮎川義介はどんな人だったのか

鮎川義介は、三井・三菱を凌ぐ「日産コンツェルン」という一代で資本主義・民主主義のコンツェルンを作り上げました。
日産コンツェルンは、下記をはじめとした多くの企業を作り上げています。
- 日産自動車
- 日立製作所
- 日立金属
- 日本テレビ
- 日本水産
- 日本ビクター
一代で大企業141社を作り、10万の株主から資本金をもらいながら、12万人もの雇用を生み出しました。
鮎川義介の生きた時代は、女性はまだ身売りされていたという時代でもあり、日本にはまだ文化らしい文化は生まれていなかったといいます。
だからこそ多くの企業を作り上げる必要があり、日本経済を大きく発展させるために奔走したそうです。
そうでなければ日本は植民地になっていた可能性もあるといいます。
鮎川義介は日本をよりよくする志を持って、家庭を顧みることなく仕事に邁進していました。
愛国心にあふれた無私奉公な方だったと言われています。
労働者の気持ちを大切にする
鮎川義介は東京帝国大学工学部を卒業後、アメリカの職工として働きに出ていました。
そのため、労働者の気持ちというものもよく理解できていました。
大企業でも中小企業でも、労働者の一人ひとりのことをとても大事に考えていました。
例えば、一つの企業で、二人社長候補がいるとします。
その場合もし普通であれば、一人が社長になりもう一人はお役に立たないような状況になるでしょう。
しかし、鮎川は必ず新しい会社を作って、もう一人をその新しい会社の社長に就任させていました。
そうすれば両方の素晴らしさ、才能、経営手腕が発揮できます。一切首を切るということはしませんでした。
技術を大切にしていた
鮎川義介は、常に日本の技術力を大事にしていたそうです。
その意思を受け継ぎ日産グローバル株式会社では、「技術によって人々の暮らしを豊かにする」という理念を掲げています。
その当時、日本ではまだ作られていなかった鋳物など、一つ一つさまざまに勉強していっていました。
そして最初に設立したのが、日立金属でした。
人づくりに力を入れる
最後に鮎川義介が残した言葉は「人づくり」でした。
亡くなる数年前は、育英資金などの教育のために私財を使ったといいます。
鮎川義介は技術者でもありましたが、哲学的な思想も持ち合わせていました。
いつも何かと忙しく機敏で頭の回転がよく性格、創造性、発想力に長けていたともいいます。
その中でも新しい分野にチャレンジする勇気が一際強かったそうです。
今の日本に必要なもの
鮎川雅子氏は「人のためこの日本のため」という気概が、今の日本には足りないのではないかと言います。
これからは多くの方を幸せに導き、一緒に歩んでいくための「共存共栄」の心が大切です。
自社だけがよければいい企業、家族だけがよければいいではなく、共存共栄の想いがあって日本が立ち上がると感じているそうです。
現代の参考にしていただきたい「絆徳経営」のビジネスモデルは鮎川義介の経営哲学がもとになっています。詳しくは、こちらの記事もご覧ください。
鮎川義介から学べること

現代社会の私たちが鮎川義介から学べることは多いです。
鮎川義介の生き方や考え方を参考にして、よい部分を取り入れてみるとよいでしょう。
掘っ立て小屋からスタートした
鮎川義介は、日立を創業した頃に掘っ立て小屋のような場所で、幹部を集めて勉強会をしていたそうです。
日立や、日産を始めとした日本を代表する大企業でも、最初のスタート地点は小さな場所からスタートしています。
鮎川義介は、ゼロから立ち上げる気概がある方でした。
途中で合併されたり、人から依頼されてその企業の社長や役員になったこともありました。
創業者は常に臨機応変な判断力を問われますので、とても優秀な経営者だったといえます。 。
企業に大事な人間性
確かに会社というのは誰でも設立できますが、責任感がなかったら企業は起こせないと言います。
そして、企業を存続させるということはお金だけではなく、人間性が必要不可欠です。
経営者の人徳、人の使い方や活かし方がわからなければならないといえます。
現代のビジネスでもそうですが、最終的に人はお金では動かないともいいます。
つまりこの価値観は、今も昔も変わらないことであるといえます。
名前を残さない
鮎川義介は銅像も建てず、名前を残さないことを徹底していたそうです。
何かを残すことに対して、人間というのは保身になってくるものであると言います。
例えば企業でも会社を創業してから、最初はさまざまなことをおこないますが、ある程度安定してくると保身になる傾向があるといいます。
今は保身にならず、日本や世界のためにどうしたら多くの人たちを幸せにできるかという無私奉公な思いを持って、ビジネスに取り組むことが大切だということです。
日本に足りないもの
鮎川雅子氏が海外で仕事をしたときに感じたことは、日本は仕事に対する責任感が弱い人が多いとのことです。
例えば、日本の人は海外でこれをぜひやってくださいと言われたときに、それを持って帰って数ヶ月返事が来ないそうです。
中国や韓国などのほかの国では即決で、後から考えればいいと言う発想を持っています。
グローバルに展開できるリーダーとして、スピード感を持って責任を持たせるような組織にしておくことが大切です。
常に自己変革を考え、今の時代に自分はどうすべきか、自分のみでなく日本がよりよくなるためにはどうしたらいいかを念頭に置いて欲しいとのことです。
日本を守る、また次の世代にバトンをつなぐ際、よいものを残していこうという気持ちを大事にして欲しいと言います。
付加価値を入れる
これからは職業に付加価値を入れることが大切で、そのときに鮎川義介の発想、創造性やインスピレーションが役に立ちます。
ただ事務仕事をしていればいい、ただ守りきればいいではなく、後悔のしない人生を生きて欲しいということです。
自分だけが幸せならいいということではなく、以下のことを常に心に問いて欲しいと言います。
- あなたが何をしてあげましたか
- この日本に何を残しましたか
鮎川義介が大切にしていた価値観・商売哲学
鮎川義介は、誠実な仕事、嘘をつかない仕事をしていただきたいと言います。誠実さがあれば信用獲得につながります。
一時的な目の前にあるお金を欲しいから、例えば誠実でない仕事をしてしまうとしましょう。
しかし、人間というのはある意味では、自業自得と言うように必ず自分に戻ってくると言います。
そうであるなら、本当に誠実な嘘のない仕事をしていただきたいと思っているとのことです。
いろいろな経験をして人徳や心を磨きかけて仕事に取り組んで欲しいと述べています。
鮎川雅子氏は、そんな鮎川義介のような生き方をする人が、今こそ多く輩出されて欲しいと感じているそうです。
今を生きる私たちが幸せだと感じるお仕事や生活を広げて欲しいと言います。
日産鮎川義塾とは

日産グローバル株式会社の代表取締役である徳山暉純氏が全国展開で塾の講義をしています。
インド・ギリシャ・中国・神道・仏教全てを網羅した哲学、ある意味では道徳とも言えます。
鮎川義塾ではこれまで継承されてきた哲学や道徳を、塾生にかみ砕いてお伝えしているそうです。
徳山暉純氏は、とても奥が深い方だそうで、日本の道徳や日本人としての誇りというものを目覚めさせてくださる存在であると言います。
鮎川雅子氏は、何十年お話を聞いていてもその都度心境が変わるそうです。
「まだまだ私にはやってないことがたくさんある」
「もっと日本のために世界のために頑張らなくてはいけない」
という思いが湧いてくると言います。
鮎川雅子氏にとって、徳山暉純氏は何十年来の友人であり、師と仰いでもいいぐらいのお方であるそうです。
今まで出会った中で、本当に貴重で稀有なお方だと感じているとのことです。
無私奉公を大切に
だからこそその教育基盤をしっかりと皆様には学んでいただきたいと言います。
鮎川雅子氏は、日産鮎川義塾で日本全国のみでなく、世界中に展開をしています。
そして、最初は数人から始めたそうです。
でも今では賛同者がいること、そして何年何十年単位で学んでくださっている方が世界や日本で活躍する姿を見て嬉しい限りであると言います。
しかし、まだ少ないと感じていて、多くの人がこのような教育土台をしっかり学んで欲しいと言います。
これからの時代で経営者が意識すべきこと

日本は世界的に見ても経済的に豊かになりました。
しかしその反面、道徳、誠実、優しさという、日本人としての思いやりがなくなりかけてきたように見受けられるそうです。
今こそ日本をよりよくするために、一人ひとりがこの未来を再生していくという思いを持っていただきたいと言います。
一つになって皆様と共にこの日本を築き上げていきたいと本気で思っているそうです。
そして、私たちがこれからやるべきことは、現代人が過去何度も聞いているであろう言葉であると言います。
「Boys, be ambitious.」
少年よ大志を抱け
今こそ
「Japanese, be ambitious.」
日本人よ大志を抱け
となるときです。
知恵と愛で人を活かす
人を活かすということはある意味では愛と知恵がないと実現できないと言います。
愛だけですと相手をダメにしてしまうケースもあり、知恵が伴わないと相手を活かしきることは難しいとされています。
実践を通して自分だけがモチベーションを上げるのではなく、従業員の意識を上げることの大切さを常に発信していたそうです。
例えば、ある組織が3名で構成されていて、あなたが一番上の立場であるとします。
そして、その3名のうち情熱的でなく、能力が足りない人がいるかもしれません。
そのとき組織はその方を中心にして動かしていくため、その方を引き上げ成長させて欲しいと言います。
鮎川義介と同じように勉強させることが大切だということです。
重要なところは責任者が責任を取らなければいけないことは間違いありませんが、社員に責任を持たすことはとても大切です。
人間は責任を持たされると一生懸命頑張ろうとするからです。
育成に時間がかかることは当然ですが、試行錯誤しながら、愛を持って従業員やお仕事、お客様に向き合って欲しいと言います。
その愛がベースになって、あなたの経営がどうなるか決まるのではないかと感じるそうです。
さまざまな経験をする
最初から経営者として任務を果たすのは難しく、試行錯誤を繰り返しながら経験を通じて勉強することが大切です。
どんな勉強家というと、それはなるべくさまざまな業種業態を経験することだといいます。
例えば担当を2年ごとに変わることを繰り返すと、俯瞰する力が強まり、組織の全体が見えるようになるそうです。
実践して成長する場を作り示すことで人間性が磨かれ、人生や人徳の基盤になります。
経営者になるのであれば、さまざまなところに携わっていいただきたいとのことです。
まとめ
鮎川義介は、日本のため、世間のためという無私奉公の心を大事にして、次々と企業を立ち上げていきました。
鮎川雅子氏は、これからの時代で知恵と愛を持って接すること、そしてさまざまな経験をすることが経営者には大切であると述べています。
日本の偉大な先人の思想を学び、自身の経営に活かしましょう。

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